認めているという、否認
もう3か月以上前から肩が痛い。
手を挙げることも出来ないし、寝ていても痛みで目が覚める。
それに加えて昨日1回目の新型コロナウイルスのワクチンを接種。
接種した部分が朝から鈍痛。
そんな中、アルコール依存症や断酒の動画を見ていて思ったことがある。
ブログを読んでもそうなのだが、
ユーチューブに出てくる人はそろって断酒のメリットを語る。
「体調がよくなった」「金銭的によくなった」「痩せた」などなど。
(どれもあんまり響いてこない。むしろストレスで過食となり絶賛増量中だ。)
また、3日から3週間で飲まなくても平気になるという。
(私も飲まなくてもいいが、飲めないという絶望感がしんどい。)
そして飲酒での失敗談と、断酒のきっかけを語る。
(どれも同じような失敗談であり、私も同じようなものである。)
しかし、私とこの人たちの決定的な違いを発見した。
断酒の決意や、断酒の姿勢が「自主的」なのだ。前向きなのだ。
みずから酒を止めている。
アルコール依存症は「否認の病」と言われる。
私も自分のことを「アルコール依存症」であると認めている。
しかし、酒を仕方なく止めているという感覚だ。
自主的というよりは、止めさせられたという所だろうか。
自分は病気だと言いながら、
自ら病気を治そうという気になってないのではないか。
自分に都合のいい時だけ「私は病気なのだ」といい、
しかし、その病気を自ら治そうとしていない。
それって認めてるふりをして、否認しているのではないか。
自分は禁煙してもう8年は経つか。
止める時はほんとにしんどかった。
3カ月は吸いたいのを必死に我慢した。
最初はふかすだけで、肺に吸い込まない所から始め、
匂いを嗅ぐだけにしたりして、
3か月過ぎに他人の煙草を吸った匂いが臭く感じる様になった。
煙草は前から止めたい止めたいと思っていた。
しかし中々止めれなかった。
そんな中、10年ぶりに2人目の子どもが生まれた。
10年という歳月は子育てを1からリセットさせた。
すると、体力など色々感じさせられた。
肺が何となく痛いと感じることもあった。
長男の時の子育ては自分はまだ若いと思っていたが、次男が生まれて
「あ~、まだまだ元気でないと、死ねないな~」と思った。
そして、誰に言われるわけでもなく禁煙。
吸いたいと感じなくなってからは、何も苦痛は無くなった。
家族で食事に行くと、何度も喫煙所に立つことがあったが、
それもなくなった。
新幹線も、どこの車両でもよくなった。
禁煙して、何一つデメリットがない。
以上、自分の禁煙に対してのことを書いてみると、
断酒の動画やブログの内容と同じである。
「酒を飲まなくても平気」「断酒してよかった」という感覚は、
私の「禁煙」を同じ感覚なのだろうと思う。
言ってることを全く理解できないわけではない。
では私自身を振り返り、「禁煙」と「断酒」とは何が違うのかと振り返ると、
やはり自主的であるかという感覚だな~と思った。
病と思いながら自ら直そうとしないのは、
本当の意味でやっぱり否認しているのかな~。
何とも難しいものだ。。。。
断酒24日目