なるじ、もう一度断酒するってさ

アルコール依存症や鬱から歩みをはじめたいための、おじさんのゆる~い日記です。

隠しているその手を見せてみろよ

今日は4連休の2日目、

「スポーツの日」だそうだ。

そして今日はオリンピックの開会式。

しかし、相変わらず気分が落ちてるせいか、仕事が閑古鳥状態のせいか、全く連休とか、休日とか、そんな感覚がない。。。

 

感覚がないといえば、昨日またやらかしてしまった。

昨日は午後にリモートの会議。

会議後、「また、余計な事言ってしまったかな?」とネガティブモードに入りつつ、夕方の眠気に襲われながら、留守番。

会議の疲れもあってか、落ちた気分と反比例するように、飲んでないのに顔が何となく熱い感覚。

そんな感じのまま食卓へ。

すると食卓にはお刺身やらパパイヤサラダや腸詰や生春巻きセットなど、ベトナム料理がそろっていた。

ほとんどが買ってきた料理だったので

「作るの省いたのか」

と思ってしまった。

 

しかし、いただきますを言った後、奥さんが小さめの紙袋を私に渡してきた。

一瞬「ん?!」と思ったが、その後すぐに気がついた。

 

「あ、今日は結婚記念日か。。。」

食卓の食事もそういう意味だったのか。

「作るの省いたのか」なんて、失礼なことを考えてしまった。

 

「ごめん、すっかり忘れてた。。。」

「いえいえ、そんなもんよね。この間も結婚記念日の話したのにね」

 

今までも何度か結婚記念日を忘れていたことがあった。

いつも気を付けてるつもりだったが、すっかり頭から抜けていた。

「そんなもんよね」という言葉が何とも辛い。

 

結婚記念日は外食をすることが多かった。

去年はコロナで家でお祝いした。

しかし、今年はせっかくの食事も、100%楽しさでいっぱいにはなれない。

だからこそ、そうやってくれることは有難いことでもあるのだが。

 

オリンピックを目の前にして、過去の言動などによって開幕式の関係者が続々辞任や解任されている。

虐めや差別。

された方は一生かかっても許すことは出来ないだろう。

 

しかし、これらの人たちは今後どうなっていくのだろうか。

もちろん、やった方が反省していないのはもってのほかだが、

失敗や過ちを犯した人に対して、過去のあら捜しをして、糾弾して、それで終わり?

「その後過ちを反省し、共に歩みだそう」ということはないのか。

ブルーハーツの「青空」が頭の中に流れてくる。

 

「♪隠しているその手を見せてみろよ~」

失敗や過ちを一度も犯したことのない人間なんていない。

人を責める時、そんな自分が後ろに隠している手を感じなくてはならない。

 

私はアルコール依存症を家族にしかまだ伝えていない。

それ以外の人には隠している。

何故か。

アルコール依存症と思われたくないからだ。

「依存症なのだ。病気なんだ」と自分で思いながら、

「人間としてダメ」という烙印を押さる感覚がある。

 

私が後ろに隠している手は、

アルコール依存症に対しての差別心なのだ。

これが根深い。

自分自身がアルコール依存症になってもまだ、消えることが無いのだ。

 

すると、自分が自分を差別していくことになっていくのか。

 

何にでも表があれば裏があるものだ。

オリンピックで勝利した喜びがあれば、その裏には負けた人の涙がある。

病気になったことの裏に、病気自体に対しての差別心。

お酒飲んで楽しんだ裏に、迷惑かけられてる家族の苦労。

 

断酒22日目

 


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