なるじ、もう一度断酒するってさ

アルコール依存症や鬱から歩みをはじめたいための、おじさんのゆる~い日記です。

もともと酒は好きではなかったという、月並みな話

私の父親は養子だった。

母は3姉妹の真ん中で、自分が家を継ぐことに決めて、

父と見合い結婚した。

 

父親と祖父は仲が悪かった。

 

戦後、貧乏のなかで小さくもここを守ってきた祖父。

自分の理想と信念を持ち、ここを倍に大きくした父。

互いに相手の思いも聞いていたと思うが、自分を曲げずぶつかり合う二人。

 

同居することはできず、離れて暮らすことに。

建て替え、大きくなった家なのに、たった2年足らずで出ていくこととなった。

 

しかし、家が仕事場で、代表は父なので、毎日家に通うという日々が1年くらい続き、

結局私たちが家に戻り、祖父祖母が家を出ていき外で暮らすこととなった。

 

子どものころ、父親母親と祖父祖母の喧嘩にいつもビクビクしていて、いつも祖父は酔っぱらってた気がする。

 

うちの家系は酒乱だと祖母がよく言ってた。祖父の楽しみは唯一晩酌。ビンボーだったので、1日に飲む量は決まっていて、もったいなさそうにちびりちびり飲む。ただ、酒を飲んでいる時はキレやすい。曾祖父は毎晩酒に酔って怒鳴り、家族はよく家の外に逃げていたとか。さらにその先代は日本刀を振りまわしていたとか。。。

 

父親も酒が好きだった。酒豪という感じではなかったが、酒の場が好きだったみたいで、仲間と飲んではいつも帰りは遅かった。

 

そんな中、体調を崩したのは父親だった。c型肝炎という病気だった。当時はかなりの難病だった。最初はアルコール肝炎としか診断されなかったが、c型肝炎と診断された父親は「アルコールのせいではなかった」と思ったのかもしれない。

晩年酒は飲んでいなかったと思うが(いや、飲めなかったといった方がいいのかな)、50代半ばで肝臓癌で他界した。

 

逆に祖父は90歳過ぎまで生きて、死ぬ5日前まで、認知症になっても酒を飲んでいた。

 

そのような経緯から、私は子どものころは酒という存在は嫌いだった。酒のせいで問題が複雑になり泣いている母親も見てきた。

 

そんな私がはじめて酒を飲んだのは中学生の頃か。仲間と集まる中で、子どもの火遊びのような感じでカラオケボックスで飲んだ。

 

高校生になると、たまに集まって遊ぶ時などは酒を飲んでいたと思う。しかし、私は酒に弱く、早めにつぶれて寝てしまい、次の日気持ち悪さが残っていた。

 

酒は「おいしい」と特別思わなかった。甘い酒しか飲まなかった。ビールやウィスキーや日本酒などは好きではなかった。もっぱら甘い酎ハイくらいしか飲めなかった。

大学をでて結婚しても、それは変わらなかった。

 

私は小さいころからずっと肥満児だった。一番太っていたときは、身長170センチくらいで、体重が120キロ近くあった。

なので、酒より先ず食べることが何よりだった。

 

小さい時から太っていることへのコンプレックスは計り知れない。

そんな私の転機は結婚して3年後くらいである。

ちょうど子どもが生まれ、そして継いだ家業の建物の修繕を行うことになったころである。

 

そこから私は60キロほどダイエットをした。

色んな事が重なり、ある意味ダイエットは成功したのであるが、

それと同時に自分の性格、周りの環境、そして酒の飲み方が変わっていたように今振り返ると思えてくる。

 

つづく

 

断酒10日目

 


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